SSブログ

鈴木亜久里、最後のタイムアタック。 [レース関係]

今日はF1の話になります。

日本では1987年に日本人初のフルタイムドライバーとして中嶋悟氏が起用され、三重県の鈴鹿サーキットが日本GPとして世界選手権に組み込まれました。(FISCOでは、1970年代に2回特別開催された)

その後、二人目のフルタイムドライバーとして、鈴木亜久里氏が登場しました。
運による所もありますが、1990年には日本GPにて日本人初の3位表彰台を獲得するなどの活躍をしておりました。

賛否両論ありますが、私は現役時代の鈴木亜久里選手の大ファンでした。
なかなか行くことの出来なかったF1日本GPですが、1995年の日本グランプリを観戦する事が出来ました。

この年は1年の浪人後にリジェチームのドライバーとして参戦となりましたが、不可解な契約でわずか6レースしか参戦出来ない事になってしまいました。

ドイツGPにてようやくポイントを取り(現役最後)、少しずつ調子も上がってきたシーズン終盤の第16戦。地元である日本GPでどの様な走りが観られるか、とても期待をしておりました。

金曜予選は14位、土曜フリーは13位、いよいよ予選2回目となり次々にタイムアタックが開始されました...
シケインの出口から最終コーナーが見れる場所での観戦でしたが、亜久里選手もまずはそこそこのタイムを出しています。

予選も進み何となく落ち着いてしまった私ですが、シフトダウンによる甲高い無限エンジンの音が響き、振り返ると青いリジェのマシンが見事な切り返しでシケインを抜けて行きました。

「あっ、亜久里だ、最終コーナーのスピード乗ってるなー」、私は最終コーナーを駆け抜けるリジェのマシンを見ながらとても興奮しましたが、その数十秒後にS字コーナー方面で煙が上がっているのが見えました。

私が最後に見た鈴木亜久里のタイムアタックはクラッシュにより赤旗中断となり、クラッシュでの怪我によりレースの欠場とF1ドライバーとしてのあっけない引退となってしまいました。

私としてはとても残念であり、もう数年乗って欲しかったのが素直な気持ちですが、1995年のラストアタックで観た最終コーナーのスピードは、18年経った今でもかなり良いラップになったと信じています。

1995年の決勝レース、最終コーナーで観戦しておりましたが、当時は「写ルンです」で撮影でした。
1995F1.jpg
決勝での亜久里の走り.... 観たかったです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。