SSブログ

フレディ・スペンサーの衝撃 [レース関係]

私はモータースポーツが大好きなのですが、二輪のレースも大好きです。

広く浅くなので、実際にはそこまで詳しくないのが恥ずかしい所です。

そもそも二輪レースに興味を持ったきっかけが、1984年に公開された『甦るヒーロー片山敬済』のCMを観た時に思わず「カッコイイ!」と思ったからです。 映画館へ行き、映画の中に出てくるライダー達の走りの中で、フレディ・スペンサーの走りに釘付けになりました。 ただ、この時代はテレビで全日本の放送も行われておりましたので、タイミングが合った時には観ておりました。 自転車好きでしたので、オートバイの走りにも憧れたりしておりました。

オートバイに乗れない子供時代ですので、単純に見た目のインパクトからですが、上体を起こし膝を突き出しながらコーナーを駆け抜けて行く映像に痺れました。 映画を観終わった後、本屋でバイク雑誌にフレディーが出ていないか探しては購入し、少しずつWGPの事も分かるようになっていきました。

1983年にホンダNS500で最年少チャンピオンとなり、1984年はホンダの新型NSR500が失敗作の為に王座陥落。 しかし1985年には250ccと500ccにダブルエントリーで両クラス制覇を成し遂げました。
Freddie.jpg
※1985年はホンダのHRCトリコロールカラーからタバコ会社のスポンサーが付きロスマンズカラーとなりましたが、これが本当にカッコイイんですよ。

1986年・1987年は怪我に悩まされ急激に輝きを失い、ドタキャン等の欠場などが続いた事などから、「嘘つきフレディ」とまで言われるようになってしまいました。 

その後1988年の開幕前に引退を宣言し、表舞台から身を引いて行くのですが、翌年にはヤマハへ移籍し復帰となります。 インタビューでやる気満々のフレディを見て、私はとても興奮した事を覚えています。 スタートから数周の間、全盛期を彷彿させる走りを見せていましたが、その後は失速してしまいました。 次レース以降も成績はパッとせず、シーズン途中で解雇されてしまいました。

忘れておりましたが、1992年の鈴鹿8耐にフレディは参戦します。 ワークスではなくサテライトチームからの参戦となりますが、このレースのでのフレディは今までの悪い噂を吹き飛ばす程に充実しており、優勝こそ出来ませんでしたが、転倒にも負けずに走り4位入賞となりました。 この時のフレディには、明らかに輝きが戻っており、「フレディ復活」を強烈にアピールする事になりました。

その後1993年にもヤマハのマシンで再度復帰を果たしますが、この年のヤマハはマシンの完成度が低く、この年を最後にWGPから完全に引退となります。

1982年デビューからダブルタイトルを獲った1985年まで4年間にフレディ・スペンサーの全てが入っています。
最大のライバルであるケニー・ロバーツとの死闘で勝ち取った初タイトル、連覇できなかった悔しさを翌年のダブルエントリーに変え、見事に両タイトルの獲得。

その後の不振について色々と言われてしまいますが、自分に高い目標を立て達成してしまった事により、次に目指す目標が無くなってしまった為だとも言われています。

フレディの達成した記録には嘘はなく、短期間に燃え尽きてしまったフレディ・スペンサーですが、映像を初めて観たときの私の衝撃は今でも忘れられません。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。