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呉への再訪....「大和ミュージアム」編 [日記]

 前回は広島への一泊二日旅行を書きましたが、今回は二日目に再訪する事となった呉での記事になります。

 広島県呉市と言えば、大日本帝国海軍の「呉鎮守府」があり、また戦艦等を建造した「呉海軍工廠」があった場所です。 敗戦後に鎮守府と工廠は廃止となり、後に海上自衛隊発足により「海上自衛隊呉地方隊」として現在に至っております。

 呉と言えば海軍、そして大和を含め多くの艦船を建造した町として今でも定着しておりますね。

 生前、祖父に呉の記憶を聞いた事がありますが、「呉へは行った事もあるし、大和に入った事もある。」とだけ教えてもらいました。 私の祖父は横須賀海兵団に入団し四等水兵から始まった訳ですが、色々なフネに乗り、色々な学校へも入ったりしておりました。 「呉に行った事がある」とは第十一水雷戦隊にて「酒匂」に乗艦している時だと思います。 軍歴証明書を確認すると、この時位にしか接点が無いので....

 前回の訪問時には祖父の軍歴証明の手続き前でしたので、モヤモヤとした感じの中での訪問でしたが、色々と判明した後の今回は心なしかスッキリとした気分で訪れる事が出来ました。
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 呉駅を降り、案内を見ながら移動する事で目的地まではあっという間です。 左の建物が「大和ミュージアム」、右側は「海上自衛隊呉資料館」となっております。
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 軍港として栄えた呉ですが、現在でも「海上自衛隊呉地方隊」があり、日本の防衛を担っております。
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 「大和ミュージアム」へは前回の広島訪問時にも訪れた訳ですが、広島方面へ訪れる機会も少ない事と、企画展も開催されておりましたので足を運びました。 今回は “ 戦艦「長門」と日本海軍 ” が開催されており、向かった次第です。
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 まずは入場券を購入し、さっそく企画展へ....
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 企画展の会場内には多くのパネルや資料が展示されており、「長門」を中心に日本海軍の歴史と合わせて紹介されております。
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 日露戦争後、日本の海軍は「大艦巨砲主義」へ傾向する形となり、諸外国も含め建艦競争に拍車が掛かりました。 戦艦を外国へ発注した日本にとって大きな問題であり、自国で世界に対抗出来うる艦船を建造する体制を作り上げます。 そして海軍は「戦艦8隻と巡洋戦艦8隻」を念頭に「八八艦隊」を計画した訳です。
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 「八八艦隊計画」の第一号艦として呉海軍工廠で建造された「長門」ですが、世界で初となる41サンチ連装砲を4基搭載し、建造された大正9年当時は、世界で最大であり最強の攻撃力を有した最高速の「戦艦」と言われておりました。 アメリカのコロラド級戦艦3隻、イギリスのネルソン級戦艦2隻、日本の長門級戦艦2隻を加えた7隻を総じて “ 世界のビッグセブン ” と言われ、日本の建造技術の成長を世界に知らしめました。
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 世界の戦艦と肩を並べた「長門」ですが、海軍はその知名度を利用し一般公開や内覧会を行いました。 連合艦隊の旗艦の名を受けた「長門」ですが、関東大震災が発生した際には演習を中止し、救援物資を東京に運ぶ任に就く訳ですが、芝浦にて物資の陸揚げ作業を行い、月末まで品川沖で活動したとの事です。 パネルにも記載されておりますが、海軍は150隻の艦船を投入し、のべ三万人を動員したとの事です。
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 「大和」や「武蔵」建造後も存在が極秘となっていた為、「長門」や「陸奥」が日本で一番大きな戦艦となっておりました。 そんな「長門」ですが、幾多の改装を行いっております。

 計画から建造、そして初期の活躍についてはパネルの撮影OKとなっておりましたが、太平洋戦争に関するゾーンは撮影不可となっておりました。 太平洋戦争に突入した日本海軍ですが、「長門」は幾多の海戦に参戦し傷つきながらも日本へ戻りました。 大戦末期の為、「長門」は修復もままならず、天一号作戦への参加もされずに終戦を迎えます。

 アメリカに接収された「長門」ですが、誰もが知る通りアメリカの「クロスロード作戦」で使用される標的としてビキニ環礁へ移動。 一回目の実験では爆弾が目標からずれた為、大きな被害を受けずに生き残りました。(私の祖父が最後に乗艦した「酒匂」も同じく回航され、爆弾の標的となり、「酒匂」の上空が爆心地となり大破炎上し翌日沈没。) 二回目の実験では損傷を受ける結果となりましたが、それでも「長門」は沈まずに姿を残す結果となりました。 誰もが驚き、日本の建造技術の高さを証明する事にもなったと伝えれております。

 しかし、二回目の実験から四日後.... 誰にも気付かれる事も無いまま、彼女は海面から姿を消しておりました。 後に海底に沈没している事が確認されており、現在ではダイビングスポットとして重要なスポットとして残っているとの事です。

 長きに渡り連合艦隊の旗艦として活躍し、最後まで生き残った「長門」.... 実験の目標となり現在は海底に眠る事になった訳ですが、それでも “ 世界のビッグセブン ” で姿が残っているのは「長門」だけだそうです。
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 今回の企画展において、ウリのひとつとなっている再現された「長官公室」があります。 机の上には「長門」に関するアルバムの複製が置いてあり、当時の「長門」を知る事が出来ます。
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 そして会場内にはスタンプ台が三カ所設置されており、「長門」に関係したスタンプが復刻されております。

 また、写真は撮影されておりませんが、「長門」と言えば「開運!なんでも鑑定団」に軍艦旗が出品され、司会の石坂浩二さんが自費で買い取り寄贈した事も有名ですね。

 こうして “ 戦艦「長門」と日本海軍 ” を見終えた訳ですが、ここから常設の展示を見学する事になります。 その前に「大和ミュージアム」最大の展示物である1/10「大和」を見学です。
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 1/10スケールで製作された大和型戦艦の1番艦である「大和」ですが、実物の「大和」は全長は263mですので、この模型は26.3mです。 海底調査で判明した部分等も取り入れて製作されておりますので、実際の「大和」に一番近いと姿である事と、今後も新たな発見があれば修正を行っていくとの事です。 船で目立つ部分と言えば.... やっぱり「バルバスバウ」ですね。 水の抵抗を減殺する為、喫水線下の船首に設けた球状の突起です。 さて、左舷側を歩きながら一周回ってみます。
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 水面から上の部分で目立つ場所と言えば、艦橋がある前檣楼ですかね。 宇宙戦艦ヤマトで言えば、艦長室がある部分は「射撃指揮所」であり、その下に設置されているのが「主砲測距所」。 そこから左右に「15m測距儀」が伸びており、その上には二式二号電波探信儀一型(21号電探)が設置されております。 ここからは下に向かい書きますが、「射撃指揮所」の下に「防空指揮所」があり、その下は「昼戦艦橋(第一艦橋)」、その左右には「二号電波探信儀二型(22号電探)」があります。 「昼戦艦橋」の下位には「夜戦艦橋(第二艦橋)」がある訳ですが「1.5m測距儀」や「射撃装置」等が多く配置されております。 前檣楼の下側にある前にせり出している部分が「指令所」ですね。 前檣楼の後ろには煙突とアンテナがあり、後檣楼(呼び方はこれで良いのかな)へ続きます。 後檣楼は予備指揮所となっており、一番上に「後部射撃指揮所」があり、下に「後部主砲測距所」そして左右に伸びる「10m測距儀」の構成となっております。 第一艦橋を同じ装置が準備されております。
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 そこから後部に移動して行きますが、後部には「15.5サンチ3連装砲塔」があり、世界最大と言われた「46サンチ3連装砲塔」の三番砲が配置。 船体に目を向けて見ると、艦後部外舷側には内火艇等の格納庫があります。
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 艦尾からの眺めでが、三番砲から艦尾にかけて艦載機の格納庫及びカタパルトが設置。 艦本式高低圧タービンを4軸組み合わせており、推進軸1軸に対し缶3基からなる構成です。 12缶から合計150,000馬力と言われておりますが、本来の性能ではなく、出力制限で1割程下げての運用と言われております。 最大の速力は27ノットとなっておりますが、出力制限をかけなければ更に上げられると考えられます。
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 右舷側を歩き艦首側へ移動、煙突を中心として「12.7サンチ連装高射砲」や「25ミリ3連装対空機銃」等が所狭しと設置されております。
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 そのまま艦首方向へ移動.... 艦首側から「46サンチ3連装砲塔」の一番砲と二番砲、そして「15.5サンチ3連装砲塔」が配置されております。 横から甲板を確認すると、一番砲から緩やかなスロープ状に形成されており、「大和坂」と呼ばれておりました。

 1/10スケールの「大和」ですが、実物は本当に細かい所まで再現されており、ただただ圧倒されるばかりです。
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 1/10スケールの「大和」の近くですが、連合艦隊司令長官を務めた「山本 五十六(やまもと いそろく)」と呉との関わりを年表にして展示されておりました。 大戦中、前線視察の際にブーゲンビル島上空で戦死となりました.... さて、ここからは常設の展示を見学する事にしました。

 この「大和ミュージアム」ですが、展示は基本撮影OKです。 一部の動画部分等は規制が入っておりますが、その展示内容は海軍ばかりではなく、呉を含め広島の発展についても説明されております。
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 大正時代に飛躍的に技術の向上を成し遂げた訳ですが、大戦景気により呉のまちは賑わったとの事です。
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 海軍工廠で働く工員達の手帳や給与明細等、身の回りの物が展示されております。
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 そして、日本は太平洋戦争へ突入。 開戦により、市民の生活も戦時に対応する事となり、辛い時代を迎える事となりました。
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 呉の海軍工廠では多くの艦艇が建造された訳ですが、「大和」の建造については細かく説明がされております。
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 「大和」と太平洋戦争についての説明が続きますが、改めて戦争の悲惨さを痛感し、繰り返してはいけないと願うばかりです。
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 今まで幾度か行われた「大和」の海底調査ですが、発見された「大和」の姿についてもパネルにて説明されております。
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 また一部ですが、実際に海底から引き上げを行った物も展示されております。

 史上最大と言われた戦艦「大和」、そして二番艦「武蔵」は海底に眠っております。 発見された事で引き上げの話も話題とされますが、私個人の意見を述べさせて頂くと、出来れば海底でそっとしておいてもらいたいですね。

 展示は戦後の呉を含め、広島の復興につい書かれておりました。 あれだけの被害を受けた広島ですが、人々は生きる為に並々ならぬ力を発揮し、現在に至っている事が良く分かります。 人の思いや力の凄さを感じました。

 一通り歴史関係の資料関係を観た訳ですが、展示はまだまだ続きます。
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 大型資料展示室では、戦争へ参加した機体等が展示されております。 写真は「零式艦上戦闘機六二型」です。
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 展示するだけではなく、呉との関わりについても説明がされております。
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 機体だけではなく、エンジン単体も展示されており....
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 その説明もあります。
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 機体の横には部品単位での展示もされており....
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 その部分についての説明もあります。

 零式艦上戦闘機の写真を載せておりますが、それ以外にも展示されており、特攻兵器「回天」や特殊潜航艇「海龍」もあります。
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 こちらは「大和」や「陸奥」等で使用される主砲弾達です。

 またまだ展示はあるのですが、写真の枚数が膨大に膨れてしまう為、あえて減らしております。 艦内をめぐり上階へと向かう事になりますが、最後に「未来へ」と書かれたコーナーへたどり着きます。
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 名誉館長のメッセージがありますが、漫画家の松本零士氏のメッセージもありました。

 こうして「大和ミュージアム」の見学を終えた訳ですが、日曜日だった為、かなりの人出となっておりました。 休憩を挟み、一回目に見られなかった所を再度回り、すべての展示を見終える事となりました。
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 最後にミュージアムの裏にある公園で一服し、次の目的地へ向かいました。 
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 次の目的地は道路を挟んで向かいにある「海上自衛隊呉資料館」なのですが、横断歩道へ向かい歩いていると「宇宙戦艦ヤマト」に登場するアナライザーの運搬と遭遇。 係の方に「これは実物大ですか?」と聞いた所、「そうですよ。」との回答。 しかし.... どう考えても私とほとんど変わらない大きさなんですよね~、劇中に登場するアナライザーは森雪よりも小さいんですよ。 このアナライザーが実物大だとすると.... あの作品に登場するキャラクター達は身長が2mオーバーになっちゃうよ....

 今回は「大和ミュージアム」(正式名称は呉市海軍歴史科学館だったり)の事を書きましたが、次回は「海上自衛隊呉資料館」編となります。

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コメント 4

middrinn

「係の方」、テキトーに答えた感が(^_^;)
by middrinn (2018-11-19 21:32) 

MINERVA

middrinn さん
作品を観ていれば、アナライザーと人間の比率が分かると思いますよね....
私も係の人に言われた時、「えっ?!」と感じつつ同じ感想を頂きましたよ。
by MINERVA (2018-11-20 09:42) 

tsun

「係の方」、MINERVAさんをなめてましたね。
ゼロ戦に、六二型なんてあったのですね。最終は五二型だと思ってました。
by tsun (2018-11-20 10:36) 

MINERVA

tsun さん
係の方には「ご質問良いですか?」と伺ってからだったのですが、その回答が「そうですよ。」だけでした.... 面倒臭い奴が来たと思われたかも知れませんね。
五二型以降の機体ですが、搭載される栄エンジンの種類と機体の強化改修を施したのが六二/六三となるみたいですね。 零戦の最終量産型との事ですが、実は他にも三菱のエンジンを積んだ五四/六四もあり、それが最終型式と知りました。

by MINERVA (2018-11-20 12:52) 

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